日々翻訳

出版&映像翻訳:川岸 史 ドイツ語と英語の翻訳をしています

JRA賞授賞式

29日はJRA賞の授賞式でした。

 

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(広報の方から写真のデータを頂きました)

 

 

馬事文化賞の表彰はトップバッターだったので、とても緊張しましたが、自分の番が終わってからはもうほっとして、ずーっとにこにこしながら授賞式の模様を見ていました。

 

何しろ翻訳の仕事というのはとても地味なもので、こんな華やかな場に招かれることはめったにありません(ほんとうに、毎日ひっつめ髪で机にかじりついている感じなのです)。

 

それでも、選考委員の皆様が優しい方々ばかりで、きめこまやかな日本語で良かっただとか、満場一致でこの本に決まったのだとか、優しい言葉をたくさんかけていただいて、思わず泣きそうになってしまいました。

 

この嬉しい気持ちを大事にしつつ、また気を引き締め、粛々とやっていかなければと思っております。 

「2017年度JRA賞馬事文化賞」

昨年に上梓した訳書「世界で一番美しい馬の図鑑」が、

「2017年度JRA賞馬事文化賞」を受賞しました。

「2017年度JRA賞馬事文化賞」が決定! JRA

 ヤフーニュースにも初めて載りました。

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とても嬉しいのですが、なんだか実感がありません。

ふわふわしているというか……。

それに、そもそもの著者はタムシン・ピッケラル氏とアストリッド・ハリソン氏。

私はただ翻訳しただけなので、ここで大手柄でも立てたかのように何か言うのは無粋ですよね。

 

それでも、馬事文化の発展にほんの少しでも貢献できていたなら、こんなに嬉しいことはありません。

 

 

 

通訳翻訳ジャーナル2018年1月号

通訳翻訳ジャーナル 2018年1月号

コラム連載第三回目が掲載されました。

 

今回は、字幕と吹替の、表現の違いについて書きました。

 

担当編集者様から「今までで一番良い原稿ですね」と言ってもらえた回なので、書店にお立ち寄りの際は、ぱらっと立ち読みでもしてくださると嬉しいです。

 

ドイツ語を選んだ理由

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なぜドイツ語を勉強したのかと聞かれることがときどきあります。

 

私の通っていた女子校では一年次にフランス語が必修であったので、とくに高校時代の友達はその後もフランス語を勉強することが多く、独文科を選んだ私は「なぜ?」と疑問を持たれることがとても多かった。

 

たしかにフランス語の方が圧倒的に美しい響きを持っているし(ドイツ語は馬と軍人の言葉とも呼ばれる)、フランス文化も素敵だし、普通の女の子なら独文科よりは仏文科を選ぶだろう。

 

でも私には、独文科を選んだ理由が明確にありました。

 

高二のときに、マレーネ・ディートリッヒの映画を観て彼女に惚れこんだため、大学では彼女について研究したいと思ったからです。

 

間諜X27』という映画で、間諜に向いてるかどうか試される場面でディートリッヒはこう言います。

「生きることは怖くないわ。死ぬことも」

 

私はこのシーンを見た瞬間、雷に打たれたような気持ちになりました。

 

こういう場面では「死ぬことなんて怖くないわ」というのがセオリー。「生きることは怖くないわ」と言って、そのあとから付け足すように「死ぬことも」なんて、そんなことを言ってのける人を見たのは初めてだったからです。

 

でもそのとき初めて気がついたのですが、私は当時、生きるのが怖かった。

 

ところがスクリーンに映る彼女は自分の思う通りに動き、何者をも恐れない。

生きたいように生き、あっさりと死んでいく。

そんな彼女が、ものすごく格好良く見えました。

 

映画の台詞に感動したのだから、監督か脚本家に感謝すべきですが、何しろ彼女が言ったことに説得力がありました。だから彼女の存在が私の胸をぐっと掴んだのです。

 

その後彼女の私生活について調べてみると、とにかく自由奔放に動き、また愛のために生きた人なんだということがよく分かった。自分に自信があって、やりたいように生きた人なんだなあ、と思いました。

そのせいで周りが迷惑することも多々あったと、娘のマリア・ライヴァは書いていますが、私はそれを読んでなんだかほっとする部分もありました。

 

その後大学に入りドイツ語の勉強を始めてみると、ドイツ語自体が厳格で合理的だということが分かりました。そしてそれはまったくドイツ人の性質を反映しているように思えました。

文法が難しいといわれますが、裏を返せばそのルールさえ踏まえていれば読み間違えることはない、ということ。だからかえって英語の方が、例外が多くて、どういう意味なのか捉えるのが難しかったりする(同じ言葉でも文脈によって意味が違ったりする)。でもドイツ語ではそういうことはあまりありません。

そういう性質も、自分に合っていたような気がします。

なろうと思った理由

「なぜ翻訳者になろうと思ったの?」と聞かれることがときどきあります。

たしかに不思議といえば不思議なもの。

それについて、昔を思い出しながら少し書いてみることにします。

 

私が初めて翻訳者という職業を身近に感じたのは、大学一年生のとき。

英語の授業中のことでした。

そのとき確か前後に座っている者同士でペアを組み、お互いを英語で表現しあうという授業内容で、そのときペアを組んだ女の子が「将来は映像翻訳者になりたいんだ」と言っていたのです。

 

「えいぞうほんやくしゃ……って何?」と私は聞いたような気がします。

彼女はこう答えました。「ほら、戸田奈津子さんみたいな。映画に字幕をつける人」

「ああ! 戸田奈津子さんなら知ってる!」

「なるのは難しいと思うけどね。字幕翻訳って一年間に400本くらいしか仕事がなくて、それを20人の翻訳者で分け合ってる状態なんだって」

「てことは、日本に20人いれば事足りるってこと?」

「そうなの。狭き門でしょ。でもね、なりたいから頑張るんだ」

まさか自分がそれを目指すことになるとは、当時は思ってもみませんでした。

ただこのとき、「翻訳者を進路のひとつとして考えてもいいんだ」という種が私の中に蒔かれました。

 

それから毎日映画を観たり自主映画製作に参加したりといった日々を送っているうちに、あっという間に三年の秋冬になり、周りの友達が就活を始めたころ、ようやく私は「仕事どうしよう」と考えはじめました。

当時は就職氷河期で、とにかく就活が大変だと先輩達から聞いていたので、自分がそこに参戦したところでどうにもならないだろうという気がしていました。

とはいえ何かしらの仕事には就かないといけない。

でも自分に何ができるのか分からない。

 

うんうん唸りながら考えた結果、とにかく何でもいいから映画関係の仕事に就きたいと思いました。映画が好きだったからです。

でも配給会社は大手しか新卒をとってないからまず無理。では邦画の現場に入ってスクリプターや車輌やヘアメイクや小道具といった何かしらの仕事に就く? 私にその道の適性があると思えない。では映画関連書籍を発行している出版社、たとえば大好きなシネレッスンシリーズを出しているフィルムアート社はどうだろう……ってそこも新卒募集してない。

 

そんなことを考えているとき、当時映画を観るためよく訪れていたアテネフランセ(最上階がミニシアターになっている)で、たまたま映画美学校の字幕講座のチラシを見つけました。庵野秀明ばりの極太明朝体で「字幕翻訳者養成講座」と書かれていて、妙に迫力がありました。

 

席につき、上映開始を待つ間、そのチラシをじっと見つめながら考えたのはこんなことです。「イギリスとドイツに(短期だけど)留学したから、英語とドイツ語は多少できる。実力的にはまだ足りないだろうけど、今から死ぬほど勉強したら、もしかしたらずっと映画のそばにいられるのかもしれない」

 

そのあとすぐに申し込みの電話をしたのですが、確かそのとき一月か二月で、四月始まりのその講座は定員に達して募集停止していました。

 

「人気があるんだなあ」と思いつつキャンセル待ち希望の旨を伝えると、しばらくしてから一人分キャンセルがあったので入れるとの連絡が。

 

そうして大学四年の春から、その字幕講座に通うことになりました。